自然資本(“Natural Capital”)に今、世界で焦点が当てられている。自然資本とは水、大気、土壌、多様な生物および生物を育むさまざまな生態系、鉱物資源等によって構成される、ストックとしての天然資源の総体をさす。自然資本が提供するサービス(”Ecosystem Services”)の中には、人間が生きていくのにかかせない水、空気、食糧の提供、植物による二酸化炭素吸収、土中に存在するバクテリアによるその分解・固定・養分生成、さらには、地域社会の文化の提供に至るまでの幅広い分野が含まれ、自然資本・生物多様性の減少は人間社会の存続を左右する。また、地球温暖化に関連しても、生態系サービスによる二酸化炭素吸収・固定が行われなければ、2050年のネットゼロは達成できないと予測されている。実に総額$44 trillion 規模の産業が、この生態系サービスに直接間接依存していると考えられているが、世界経済フォーラムなどによれば、最近30-50年の間に、420百万ヘクタールの森林、11%の泥炭地、63%の湿地帯、40%のマングローブ林、70%の原生草原、60%以上の生物を失ったとされる。
昨年初頭、英国政府は、The Dasgupta Reviewという学識経験者グループによる600ページを超えるレポートを発表した。人間の社会経済活動とその自然資本への影響を包括的に論じていて示唆に富む。そのレポートによると、人間は自らの社会経済活動により、自然資本が供給可能な量を超えたサービスを消費している。とくに経済成長や食糧増産に拍車がかかった1950年代以降、自然資本に対するこの負の影響が顕著になった結果、1992年から2014年の間に、経済資本は倍増する反面、自然資本は40%減少していると訴える。
もちろん、自然資本の重要性への認識は、今に始まったことではない。1950年代以降高まりを見せ、国際的環境保護団体が、生態系保護を目的としたプロジェクトを多数行ってきた。最近では、2021年正式発足した、日本も含め100以上の政府が参加している30by30イニシアティブがある。これは、2030年までに世界の30%の土地・海洋の生態系を保護することを目標としている。それ以外にも、民間セクターによる熱帯雨林など原生林保護を目的とした非常に多くの投資スキーム・プラットフォームがここ数年間で開発されている。こうした、現存する自然資本・生物多様性を保護する取り組みは重要であり、経済的にもっとも効率が良い方法とみなされている。
しかしながら、人口が増加し、同時に食糧需要が増大し続けるかぎり、こうした保護プロジェクトだけでは、自然資本は減少し続ける。PaulsonInstitute によれば、生物多様性再生のためには、2030年までに年間平均$845billionの投資が必要とされ,現時点での投資額ギャップは$711billionに上るとされる。ほかにも、2050年までに気候変動を抑止し、生物多様性減少を抑え、土地の質低下を抑えるためには、その4倍の投資が必要となり、総額は$8.1Trillion に上るとする推測もある。
The Dasgupta Reviewは、自然資本・生物多様性を強化していくには、保護と再生を同時に行い、その生態系サービス供給可能量を増加させていくことが必要とし、そのための手段の一つとして、環境に適合した解決策(Ecological Solutions)あるいは自然の論理に基づく解決策(NbS: Nature-Based Solutions)を、低コストかつ不測の事態の少ない有効なものとしてあげている。また、人間の社会経済活動が必要とする生態系サービス量削減のため、食糧、燃料、水、木材等への単位あたりの需要を減少させるのはもちろんのこと、生産の結果生じる廃棄物も減少させる必要がある、と述べている。そのために公的・民間金融システム、とくに民間資金が果たす役割の大きさやその中でのインパクト投資の可能性にも言及し、今後その規模が拡大するには、自然資本が関わる資産の市場価格の欠如、流動性の低さ、投資規模、標準化された情報の欠如、などの課題の克服が必要であると指摘している。
J-IIINの役割
私達J-IINはグローバルに注目される課題解決への投資という側面から、インパクト投資をとらえ議論を深めることを一つの役割として活動してきた。その点から、自然資本・生物多様性強化のためのインパクト投資と、その課題解決の今後の動向についての理解を深めることは、私達の役割に適していると考えている。この考え方に基づいて、インパクト投資として新しいこの分野について、以下のような点に着目しながら深掘りしていきたい。
第一に、課題解決方法として、The Dasgupta Reviewでも紹介されているNbSに焦点を当て、その可能性を模索する。Food and Land Coalition によれば、NbS に基づき年間$300-500 billion 規模の投資を続けることにより、2030年には社会へのリターンが$5.7 Trillion に上るとの見方もある。また、新規ビジネスの可能性は$4.5 Trillion に上るとも見られている。一方で、生態系サービスの総額は一般に年間$145 Trillionとされ、自然資本を増加させればさら更に年間$10 Trillion のビジネスと新興国を中心に395百万人の雇用が新たに創出される、ともされる。このようにNbSは、地球温暖化阻止、生物多様性保持、公平性のある社会実現という、現在の大きな地球規模の課題すべてに関連している。
同時に、このような規模での投資を実現していくためには、ビジネスの発展とそれを支える市場整備の点から、新しい技術との結びつきが不可欠となる。人工知能によるビッグデータ解析、機械学習、衛星利用による地理空間データの画像解析、遠隔探知・測定、さら更には、バイオテクノロジー、遺伝子工学などの技術を、生態系・生物多様性強化・拡大に利用し、正確かつ科学的データに基づいて投資成果を測っていく。また、そのデータにより、リスク・リターン・インパクトを確定し、投資判断を行うことにより、自然資本・生物多様性へのインパクト投資の抱える課題解決にも資すると思われる。そして、将来的には、”自然テック” (“Nature Tech”)という新しい分野として確立していくものと考えている。
国際的な枠組に関しても、2016年に国連組織により発表された“自然資本プロトコール”、そしてその原則にもとづき、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD:TaskForce for Nature Related Financial Disclosure)が、来年に向けて完成を目指す原則がある。一方で、各国政府ベースでも、GDPに代わりうる、自然資本の価値を組み入れた新しい経済指標作りが行われている。さらには、より詳細で100以上にも上るとされる、生物多様性や自然資本の鍵となる測定指標・基準についても今後議論が進むと考えられ、その進展にも注意を払っていくつもりである。
最後に
今年は、1972年、ローマクラブにより刊行された「成長の限界」(The Limits to Growth)というレポートの刊行50周年の節目に当たる。「成長の限界」は、国籍や専門分野の異なる学識経験者グループが、人類社会の未来についてコンピューターモデルに基づいたシュミレーションを行った結果をまとめたものだ。人口や経済の成長が当時の速度で続けば、21世紀の終わりを待たず、天然資源は枯渇し、食糧生産は限界に達し、環境汚染もあいまって、人間社会は崩壊する、という結論であった。50年の時を経て、経済規模や食糧生産は、1972年と比較にならないほど成長した。しかし、当時レポートが危惧したように、人間は、その技術によって、地球上にある有限な自然資源からの制約を超えて成長し続けることができると過信してしまった。その結果、自然が供給可能な量を超えた生態系サービスを無防備に消費し、気候変動リスクやそれと表裏一体である生物多様性減少リスクに直面している。「成長の限界」も”The Dasgupta Review”も、方法こそ異なるが、ほぼ同じ問題を提起し,ほぼ同じ結論に達し、そして、ほぼ同じ示唆を行っている。それは、人間が、有限である自然資本の枠組みで生活する限り、経済成長を永遠にし続けることは不可能である。発展に対する考え方自体を転換して、均衡・調和による持続可能な社会を築くことに注力すべきである。そして、その際重要となる点は、自然資本を平等に分かち合う倫理・価値観であり、それを実現するための組織・体制である、と。見失ってはいけない点として肝に銘じたい。